2023年7月27日

大学の危機をのりこえ、明日を拓くフォーラム(大学フォーラム)運営委員会

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 2022年12月以来、政府は、1月に始まる通常国会に日本学術会議法改正案を提出する構えを見せていた。これに対して学術会議は、2023年4月18日の総会において、「政府は、現在、立案中の日本学術会議法改正案の第 211 回国会(通常国会)への提出をいったん思いとどまり、日本学術会議のあり方を含め、さらに日本の学術体制全般にわたる包括的・抜本的な見直しを行うための開かれた協議の場を設けるべきである」とする勧告と、「『説明』ではなく『対話』を、『拙速な法改正』ではなく『開かれた協議の場』を」と題する声明を採択した。ここに至って岸田首相は4月20日、法案の今国会提出を見送る意思を表明した。

 その後、政府は、「日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会」(以下、「有識者懇談会」)を設置するという方針を打ち出し、6月15日、学術会議幹事会にこれを示した。7月16日開催の学術会議総会では、会長から「有識者懇談会」の設置は政府との建設的関係構築に向けての糸口と理解するが、学術会議の期待するものでなく、学術体制全般についての「開かれた協議の場」に相応しい実質が備わるように努力する、という見解が表明され、会員からは「有識者懇談会」での審議について多くの危惧が示された。

 大学フォーラムは、いまだ解決を見ていない会員任命拒否問題に続いて、学術会議の「あり方」問題の展開を注視してきた。今回の政府の対応によって問題が新たな局面を迎えるにあたり、現時点で明らかにされている「有識者懇談会」のあり方が、「日本の学術体制全般にわたる包括的・抜本的な見直し」を「開かれた協議の場」で行なうことを求める学術会議の要請とは大きく隔たっているという認識の下に、日本学術会議のあり方について内容的にも組織的にも開かれた場での熟議を求める立場から、以下のような見解を表明する。

1.問題の焦点は設置形態をめぐる二者択一ではない

 6月16日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2023」は、「日本学術会議の見直しについては、これまでの経緯を踏まえ、国から独立した法人とする案等を俎上に載せて議論し、早期に結論を得る」としている。「有識者懇談会」は、これを踏まえて「日本学術会議に求められる機能及びそれにふさわしい組織形態の在り方について検討する」ものとされている。このことは、「有識者懇談会」では、内閣府の方針のように国の組織であることを前提に「改革」するのか、自民党のプロジェクトチームが主張しているように法人化して「再出発」するのかという、組織形態(設置形態)の選択に焦点が当てられることが想定されていることを物語っている。

 しかし、設置形態について言えば、何よりも問われなければならないのは、現行法を維持し、それを前提として「より良い役割発揮」(2021年4月総会決定)をめざすのか、それとも、それでは足りず、法改正を行なう必要があるのか、ということである。現行法のもとでの改革では足りないというのであれば、それはなぜなのか、法改正を行なうことによって何がどのように改善されるのかが徹底的に明らかにされなければならない。そしてその前提は、そもそも学術会議とはどのような役割をはたすべきものであるのかという基本的問題についての認識である。設置形態は、そのような認識の組織的表現であるべきものだからである。

 ところが、昨年12月以来の政府の態度は、そのような基本的問題についての明確な考えを示したうえで率直に議論するという構えをもつことなく、法改正がなぜ必要なのかについての説得的な説明もないままに、会員選考方法などの組織改編を強引に推し進めようとするものであった。これでは、当事者である学術会議を納得させることができないだけではなく、学術会議の「あり方」を議論すること自体の意味について、広く社会の理解を得ることは不可能である。新たな局面における議論は、この轍を踏んではならない。

2.学術会議のあり方は「科学の社会的役割」を基礎に論じられるべきである

 学術会議のあり方については、すでに議論の一定の蓄積がある。国レベルでの公式な文書としては、現行学術会議法(2004年改正法)の基礎となった総合科学技術会議「日本学術会議の在り方について」(2003年2月)と、法改正後の学術会議改革の検証を踏まえた日本学術会議の新たな展望を考える有識者会議「日本学術会議の今後の展望について」(2015年3月)の2つがある。総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の有識者議員による「日本学術会議の在り方に関する政策討議取りまとめ」(2022年1月)も、これらの文書を念頭に置いている。

 論点は多岐にわたるが、社会が抱えるさまざまな問題を解決するうえで科学の役割がますます大きくなっているいま、改めて議論を深める必要があるのは、世界科学会議「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」(ブダペスト宣言、1999年)を契機として打ち出された次のような対概念についての理解である。ひとつは、「科学のための科学」(科学者の知的好奇心にもとづく真理追究を自己目的とする科学研究)と「社会のための科学」(真理追究の成果を社会的課題を解決する手段として用いる科学研究)であり、もうひとつは、それと関連する「科学のための政策」(科学をどのように発展させるかについての政策)と「政策のための科学」(科学の成果を政策の実現にどのように役立てるかという視点からの科学)である。これらの対概念は対立的なものではなく、両者の関係を含め包括的に理解する必要がある。とりわけ、「政策のための科学」、すなわち成果の利用という「出口」を重視する傾向が強まっている中で、「科学のための科学」が科学の原点であることが忘れられてはならない。「科学(学術)」と「科学技術」との関係は、このような文脈で適切に位置づけられる必要がある。

 問われているのは、「科学のための科学」と「社会のための科学」、「科学のための政策」と「政策のための科学」を社会全体の仕組みにおいてどのように位置づけ、公共的な営みとして支えるのか、その中で、「科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし」て設立され(日本学術会議法前文)、人文・社会科学から自然科学までに及ぶ科学の諸分野を総合し、科学者の国際的コミュニティと連携しつつ国益を超えた普遍性を追求する「わが国の科学者の内外に対する代表機関」(ナショナル・アカデミー)としての学術会議の位置と役割をどのようにとらえるのか、ということである。

3.学術会議のあり方は「学術体制全般」のなかで論じられなければならない

 上記のような論点を踏まえるならば、「あり方」が問われるのは学術会議だけではない。研究・教育の現場である「学術の中心」としての大学や研究開発法人、専門分野別の学協会、日本学術振興会や科学技術振興機構のようなファンディング・エイジェンシーなどの全体が科学を支えるシステムを構成しており、それらの役割と相互関係が問題になる。とりわけ重要なのは、CSTIと学術会議との関係である。

 同じく内閣府に属するCSTIと学術会議は、しばしば「車の両輪」として位置づけられている。CSTIは、内閣総理大臣を議長とし、半数は関係閣僚、残りの半数は民間の有識者議員によって構成され、科学技術分野における政府の政策と予算の策定に直結するトップダウンの組織である。これに対して学術会議は、210名の会員と約2000名の連携会員によって構成され、政府や社会に向けた提言等の意思の表出などの活動を、独立して、ボトムアップで行なう組織である。「車の両輪」という表現は、性格を異にする両者が、国のレベルにおける学術と科学技術の在り方についてそれぞれの立場から発言する不可欠かつ対等な存在であり、同時に固有の役割をもつことを含意している。CSTIが政策機関であり科学研究の成果の利用を主たる目的にするのに対して、学術会議は科学者の自治組織として普遍的な科学研究の推進とそれに基礎づけられる科学の国際交流に本質的な役割を果たすのである。しかし実際には、CSTIからは、その前身である科学技術会議がもっていた政府が学術会議への諮問やその勧告をつうじて学術会議と向き合うさいの調整機能が消えている。学術会議の活動を尊重する態度が薄れ、その結果、政府の政策形成における学術会議の存在は周辺化されて、勧告や提言など学術会議の見解に対する政府の態度は不可視のものとなっている。その一方、CSTIの側が学術会議のあり方を論じるという非対等な関係が生まれている。このような状況のなかで、大学政策を含む科学技術政策の「司令塔」としてその役割を肥大化させてきたCSTIに対して、学術会議の役割を適切に位置づけ、前者のあり方(意思決定の仕組みとそれが推進してきた政策の中味)を科学者コミュニティや市民社会の立場から検証する仕組みを考えることが重要である。

 また、この間の新型コロナ感染症対策をめぐる経緯が示しているように、より広く、政府自身が学術会議を含む科学者・専門家の意見に対してどのような態度をとってきたのか―それに真摯に耳を傾けたうえで、政治的決定は自らの責任において行なうという緊張感のある関係を作ってきたか、そうではなく、科学者・専門家を便宜的・選択的にのみ利用することはなかったか、ということも問われなければならない。

 このように、学術会議のあり方を問うということは、学術会議がその一部をなす科学(学術)とその社会的機能を成り立たせる仕組み全体、とくに学術会議と関連組織との関係を問うということであり、学術会議のあり方のみを切り離して論じることは生産的ではない。

4.学術会議について先入見や思い込みでなく事実を踏まえた議論をすべきである

 学術会議のあり方をめぐるこの間の議論の問題点のひとつは、学術会議についての事実が十分正確に踏まえられているとはいえないということである。議論の前提とならなければならないのは、2004年の法改正ののち今日に至る学術会議の活動内容や会員構成の変化、とりわけ、2021年4月に採択された「日本学術会議のより良い役割発揮に向けて」にもとづく会員選考のあり方や意思の表出の仕組みに関する改革の結果についての認識である。また、しばしば見落とされがちなのは、学術会議が日本の科学者を代表する組織として科学者の数多くの国際組織に加わり、「Gサイエンス学術会議2023」を主催したように、世界の科学者との連携に貢献している、という事実である。

 ほとんどは現役の大学教員である学術会議の会員と連携会員は、約10億円(その半分は職員人件費を含む事務経費)という極めて窮屈な予算制約のもとで、研究・教育のための時間を割き、会議参加の手当や旅費をしばしば返上しながら、事実上手弁当で活動している。学術会議の活動を公共的な意義のある仕事と受け止めればこそにほかならない。学術会議の活動における不足を指摘し、さまざまな期待・注文を寄せることは当然あってよいことである。しかし、以上のような活動条件に無頓着で、それを改善する提案を伴なうことのない批判は、不公正で非現実的なものとなることにも注意する必要がある。

5.「有識者懇談会」の限界をどう突破すべきか

 以上の観点から見ると、現在示されている「有識者懇談会」の姿は、審議すべき内容と組織や審議のあり方の両面で、学術会議が要請し、多くの科学者、市民が共通に願うものとはならないという大きな危惧がある。この危惧を考えると、「有識者懇談会」の組織・運営について、次の5点が要求されなければならない。

 第1に、学術会議の組織形態の問題にアプリオリに議論の焦点を当てることなく、2や3で述べたような基本的問題を広く取り上げ、深みのある議論を行なうことである。

 第2に、約10名ほどとされている構成員は、そのような課題に取り組むにふさわしいという納得が広く得られるよう、学術会議の意見もよく聴いて選任されるべきである。

 第3に、審議は公開し、透明性のあるものとすべきである。「率直な意見交換を行うため、懇談会は非公開とするが、議事録を作成し、会議後速やかにホームページ等において公開する」とされているが、率直な意見交換を行うためには非公開としなければならない理由は見出しがたく、議事録がいつ、どのような形式で作成されるのかも明らかではない。

 第4に、学術会議のあり方については「早期に結論を得る」とされている。しかし、法案提出のような「出口」をあらかじめ設定し、それから逆算して「スピード感」をもった審議日程を定めるという政府が多用する方法は、この問題についても適切ではない。熟議のための十分な時間が確保されるべきである。

 第5に、「有識者懇談会」の結論がどのようなものとなるとしても、「有識者懇談会」の審議を経ていることを理由に最終的な決定に至る民主的手続を軽視することは許されない。「有識者懇談会」の見解は、政府の原案を形成する手がかりとなるにとどまるのであって、学術会議を拘束するものでなく、むしろ学術会議が要請する政府との対話の出発点となるものである。また、広く市民社会による批判的な吟味の対象とされなければならない。

 さらに重要なことは、学術会議が要請した「開かれた協議の場」をどのように考えるかである。学術会議は、「有識者懇談会」に多様な意見を反映し、実質的にそのような「場」とすることを見通している。このことを実質的なものとするためには、学術会議自らが、学術や科学技術のあり方に関心をもつ学術、文化・芸術、産業、市民活動など多様な分野の団体や個人が議論に参加し提案する、開かれた場を設けることを検討すべきである。そこでの議論を「有識者懇談会」における議論に反映させ、実質化を図り、同時に、「有識者懇談会」とは異なった展望を示す可能性をもさぐることが期待される。

以上


 *参考

【声明】日本学術会議の独立性を否定する法改正の試みをただちに中止することを重ねて求める

2023 年4月9日

大学の危機をのりこえ、明日を拓くフォーラム
学問と表現の自由を守る会

http://univforum.sakura.ne.jp/wordpress/wp-content/uploads/2023/04/jointstatement20230409SCJ.pdf

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