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目 次

はじめに

第1 報告は学術会議の独立性・自律性を侵害した会員任命拒否問題の深刻さに正面から向き合っていない

第2 報告は「科学者の総意の下に・・設立」(現行学術会議法前文)された学術会議を「国民の総意の下に設立」するものとして、学術会議の本質的在り方を変えようとしている

第3 報告はその企図に反して法人化によって学術会議が独立性・自律性の保障を失う制度設計に陥っている

おわりに

日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会「中間報告」(2023年12月21日)に対する批判的意見
-懇談会委員の大学フォーラム質問状への回答として「中間報告」を読む-

2024年1月22日

大学の危機をのりこえ、明日を拓くフォーラム(大学フォーラム)運営委員会

「中間報告」(以下たんに報告)は、学術会議改革を審議するために内閣府に設置された「日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会」(以下たんに懇談会)が作成し、担当大臣に提出したものである。懇談会は2023年8月を第1回とし、第10回会議において同報告を承認した。報告は、学術会議の「求められる機能にふさわしい組織形態」として、政府からの独立性、会員選考の自律性を確保し、制度上の制約を外れより多様な可能性を広げるために「国とは別の法人格を有する組織になることが望ましい」(報告13頁)と結論している。

 この報告を受けて内閣府特命担当大臣決定として「法人化に向けて」が公表され、制度的措置を示して報告の趣旨を具体化している。担当大臣は、これに基づき学術会議の法人化の方針を表明した(2023年12月22日)。

 懇談会設置は、2022年12月に内閣府が提示した日本学術会議法改正案、すなわち、学術会議を引き続き国の機関として存置するが国民の理解を広げるために「中期的な事業運営方針(6年)の作成」など透明性を高めるべく業務改革を行い、また、会員選考の基本方針や選考結果について意見を述べる第三者から構成される選考諮問会議を設置するという案に対して、学術会議の自主性・独立性を侵すものとして当事者である学術会議をはじめ社会の強い批判に直面して政府がこれを撤回(2023年4月)、その後、政府の「経済財政運営と改革の基本方針」(2023年6月16日閣議決定)が「(学術会議につき)国から独立した法人とする案などを俎上に載せて議論し、早期に結論を得る」と決定したことによる。

 この経緯からすれば、学術会議を国の機関として存置するという内閣府の方針の撤回を前提とするので懇談会が「法人化」の選択肢を国の機関としての在り方と比較考量しつつ、法人化の方向性を示すことは容易に観測された。とはいえ懇談会は、座長を岸輝雄氏(学術会議元副会長)が務め、国立大学協会会長・副会長、公立大学協会会長、複数の元会員など学術会議に理解の深い12名で構成され、学術会議と政府の関係についてより本格的な検討が行われるという期待も少なくなかった。

 大学フォーラムは、懇談会の検討が始まるに際して、全委員に質問状を送付し、5つの主題について委員の所信を尋ねた(「日本学術会議のあり方についての開かれた議論に資するためのご質問」2023年9月17日)。少なからぬ委員から返信があり、所信は懇談会において表明すべきと考えるという同様の内容であった。大学フォーラムは、返信に感謝し、懇談会での審議・検討を待つことにした。「中間報告」は、そのような意味において実質的な「回答」であり、詳しく批判的に読むことにした。大学フォーラムは、これまで学術会議問題について重要な節目にそうしてきたように、中間報告について「見解」を公表した(「日本学術会議の在り方に関する懇談会『中間報告』および大臣決定についての見解」2024年1月)。この「批判的意見」は、内容的に「見解」と重複するが、懇談会委員に直接とどけたいと考え作成したものである。

 以下の行論の参考のために報告の目次を示しておく。

0 前文
1.はじめに
(1)科学・学術の使命とナショナル・アカデミー(1-2頁)
(2)我が国におけるナショナル・アカデミー(2-3頁)
2.学術会議の使命・目的
(1)現状及び問題点(3頁)
(2)時代に即した視点~国民に近い、国民のための学術会議(3-4頁)
3.学術会議に期待される機能
(1)基本的な視点(4頁)
(2)求められる具体的な機能(4-6頁)
 (A)学術的・科学的助言~国民や社会の理解と信頼を得られるものになっているか
 (B)ネットワークの構築・活用~学術の進歩、国民及び社会のための活動の拡大
 (C)国際活動
4.機能の発揮に必要な条件整備
(1)会員選考(7-9頁)
 (A)自律的な会員選考の重要性
 (B)会員の資質・任期等
 (C)外国人会員
 (D)会長
(2)活動の幅の拡大(9-10頁)
 (A)国会との関係
 (B)産業界との連携・協働
 (C)メディア等との連携・協働の拡大強化
(3)財政基盤の充実~独立性の確立と活動の拡大(10-11頁)
 (A)、(B)(いずれも見出しなし)
(4)事務局機能の拡大(11-12頁)
 (A)戦略的機能の強化
 (B)人材登用の弾力化
(5)ガバナンスの強化(12-13頁)
 (A)見出しなし
 (B)組織運営のサポート機の充実
 (C)第三者の視点からの透明な評価・検証
   ①監事、②評価委員会(仮称)
5.求められる機能にふさわしい組織形態(13-15頁)
 (1)、(2)、(3)、(4)、(5)いずれも見出しなし

 以下では、大学フォーラムが基本的な問題と考えてきた学術会議と政府の関係に焦点をあてて、大きく下記の3項目に即して報告を批判的に検討し、あわせて大臣決定にも言及する。

  • 報告は学術会議の独立性・自律性を侵害した会員任命拒否問題の深刻さに正面から向き合っていない
  • 報告は「科学者の総意の下に・・設立」(現行学術会議法前文)された学術会議を「国民の総意の下に設立」するものとして、学術会議の本質的在り方を変えようとしている
  • 報告はその企図に反して法人化によって学術会議が独立性・自律性の保障を失う制度設計に陥っている

1 今回の報告にまで至った経過の起点は、社会的に周知のことであるが、2020年10月の菅首相による学術会議会員候補者6名の任命拒否(105名の名簿のうち6名について任命手続きを決裁しなかった)であり、これをきっかけとして紛争状況が生じる中、首相が担当大臣に学術会議改革を指示したことである。マスコミは、これを「論点ずらし」と呼んだ。首相の意向に呼応して自民党は、いち早く政調会にプロジェクトチーム(「政策決定におけるアカデミアの役割に関する検討PT」)を設置し、その検討結果(「日本学術会議の改革に向けた提言」以下PT提言)を2020年12月に公表した。

 PT提言は、今回の報告と比較すれば、政権側の要求を率直に示しており、学術会議の使命を「政策のための科学」(「政権のための科学」と読める)にあることを強調し転換を迫る改革案を多く含んでいるが、学術会議を国の機関から切り離して独立の法人とし、公的資金の供与を当面継続しながら政策提言をビジネス化(対価調達方式)して自主財源の確保を図り、「ガバナンス機能の抜本的強化と組織の透明化」を進めるという基本線は相通じている。

 問題にすべき重要な論点は、法人化の意義についてである。PT提言の理解によると法人化は「政府の内部組織として存在しているにもかかわらず、政府から独立した存在であろうとすることで生じている矛盾が解消する」(PT提言2頁)ことである。この理解は、現行学術会議法が学術会議の職務の独立性を規定し(3条)、会員について学術会議の推薦に基づく首相の任命が形式的な任命行為であるという1983年法改正以来の国会と内閣の法解釈(17条)があるにもかかわらず、菅首相がこれらに反して行った歴史的に未曽有の行為を措いて、かえって学術会議の側に問題の責任があるという論法になっている。

 第5回の懇談会(2023年11月9日)に座長の要請で提出された懇談会事務局(内閣府大臣官房総合政策推進室)の文書「法人化の場合の基本的な考え方」は、法人化の意義についてPT提言の理解に通じる。すなわち「政府の組織でありながら政府から独立した立場で活動する、政府の一部でありながら政府と対話の主体になる、というような分かりにくさが解消され、活動の不偏性、公正性に対する信頼感のさらなる高まりが期待できる」(後半の意味は不明-引用者)。PT提言および懇談会事務局文書は、現行学術会議法の下における政府と学術会議の関係につき、もっぱら政府の側の見方(政府から独立に活動する国の機関としての学術会議は不要、さらには有害?)を示すものであり、これについて懇談会がどのように判断するかは、学術会議の在り方を論じる前提問題として重要である。懇談会は、「我が国における歴史的経緯や他の関係機関との役割分担なども踏まえ、世界最高のアカデミーを目指し、我が国に適した形でのナショナル・アカデミーとしての理想的な在り方を議論する」(はじめに(2)、太字引用者)とし、政府への忖度の排除を明示しているからである。

 報告は、学術会議が懇談会の期待する機能を十分に発揮するためには「政府等からの独立性を徹底的に担保することが何よりも重要」(3学術会議に期待される機能(1)基本的視点、4頁)と明確に述べ、また、会員の選考も「独立して自律的に行われることが重要」(4機能の発揮に必要な条件整備(1)会員選考、7頁)と認識している。懇談会にとって、学術会議の独立性・自律性がナショナル・アカデミーとして必須の要件であることには疑いの余地がない。

 では、このことと法人化は、どのように結びつくのか。報告の理由づけは、PT提言と同じである。報告によれば、「独立した立場から政府の方針と一致しない見解も含めて政府等に学術的・科学的助言を行う機能を十分に果たすためには、そもそも政府の機関であることは矛盾を内在していると考えられる」(5求められる機能にふさわしい組織形態(1)、13頁、太字引用者)と記述される。そして、この理由が法人化のために最初にあげられる理由になっているのである。太字の部分は、原案ではもっと分かりやすく「不適切であると考えられる」とされていたが「これまでも不適切だったのか」という委員の指摘をうけて修正された(第10回議事録5頁)。ここには委員と報告案を起草する事務局との意識の差がでている。

 なによりも肝腎なのは、「矛盾である」、「不適切である」という指摘が行われるに至った事情が任命拒否という首相の行為をきっかけにしていることである。PT提言が首相の行為を視野の外におくのは、与党自民党の政治的立場として理解せざるをえない。しかし、学術会議設立以来、現行学術会議法の下70年余、そのような問題は生じず、今回、首相の行為によって「矛盾」が顕在化したことは明確である。懇談会は、学術会議の独立性・自律性が理想的アカデミーの不可欠の要件であると認識し、学術会議に将来的により大きな役割を期待するのであるから、現行法下で生じた学術会議の独立性・自律性の侵害に目をつぶってその重要さを語ることは、公平で客観的な議論といえず誠実でない。

 こうした報告の記述にかかわらず、懇談会の議論においては、現在生じている事態が政府による学術会議の独立性に反する人事介入であること、そのような介入を今後排除するために法人として独立すべきであるという明確な意見が示されている。「学術会議は独立して適切に学術的・科学的助言を行うわけですから、人事権や発言、提言に対して、干渉されてはならないわけです。ですから、私は学術会議は独立したほうがよい、法人化のほうがよろしいと思います。今は、実際に人事権介入されているわけです。であれば、しっかりと学術会議が本来のアカデミーの使命に沿って活動していく、それに対して国は支援を約束することです。まずそこをしっかりと押さえた上で、独立する。干渉されないために法人化の道を歩むのがよろしいと考えています。」(第7回会議における永井良三委員の発言、第7回議事録17-18頁、太字は引用者。永井委員は自治医科大学学長、元学術会議会員)。同委員は、最後の第10回会議でも、文書発言によってあらためて「学術会議の会員選考に政府の介入が行われたことは学術会議の自律性に対する最大の危機であり、政府機関としてとどまる限り、介入は避けられない。そこで、学術会議はその使命を果たすために自律して運営できる体制を追求するべきであり、法人化して運営するのがよい」と指摘したうえで、重要な論点を提起している。それは、法人化を進めるに際して、中間報告の「科学・学術の使命とナショナル・アカデミー」(はじめに(1))に示された理念を「学術会議と政府が共有して、相互に了解し」その上で「政府は学術会議を支援することを約束する」ことが「議論の第1歩」(第10回議事録17-18頁)ということである。

 任命拒否を明確に批判した上で、そのような介入をさけるための法人化であること、それを進めるについて、学術会議の使命について学術会議と政府の間で共通認識と相互了解、また、政府の財政支援の約束が出発点だという立論が明確に前面にでるならば、報告の学術会議法人化論はそれとして筋道の通ったものになったであろう。懇談会は、政府を忖度せずに理想のアカデミーを論じることを目的とした。そうだとすれば、任命拒否がどのような困難を現行法の下において正常に運営されている学術会議にもたらしたか、任命拒否の事態が膠着し(学術会議は任命を求め続け、政府は処理済みと木で鼻をくくる対応に終始する)学術会議と政府が不正常な関係にある中で、両者の信頼関係を回復する方策をどのように図るかが有識者としての懇談会に期待されることではなかったのか。報告は、委員の貴重な発言にもかかわらず、この点に関して、遺憾ながらPT提言および事務局文書の枠組みに拘束され一歩もでることができなかった。

 首相の会員人事介入を惹き起こしたのは、学術会議会員の選定に形式的であれ首相の任命行為を要件とする現行学術会議法の仕組みであるとすれば、法人化の方策は、唯一の選択肢ではなく、法改正によって首相の任命行為を手続きから外すことが考えられる。元学術会議会長の大西隆氏はこれを主張している(同日本学術会議-歴史と実績を踏まえ、在り方を問う』日本評論社、2022年330頁以下)。

 報告は、この点に関し「会員選考の自律性の観点から」「主要先進国のように学術会議が選考した候補者が手続き上もそのまま会員になる仕組みの方が自然であり望ましい」(5求められる機能にふさわしい組織形態(1)、13頁)と述べて(その通りである-引用者)、その実現のために法人化が必要であると意義づける。他方、なぜ首相の任命が制度上必要なのかについて「国の組織であり会員を公務員とするために、学術会議が選考し推薦した候補者を内科総理大臣が任命するプロセスが避けられない現在の組織体制」と理由づけている(4機能の発揮に必要な条件整備(1)会員選考、7頁)。

 大西氏が指摘し、また多くの学術会議関係者も知るように、学術会議会員と同様に特別職公務員としての身分をもつ日本学士院会員は、会員選考にコ・オプテーション制を採り、学士院自らが定めた「日本学士院会員選定規則」に基づいて選考を行い最終的に「総会の承認を得た者を日本学士院会員に決定する」(規則13条)。これ以上の要件はない。報告が首相の任命を必要として示す理由は、この例をもってすればまったく不十分であり、さらに学士院会員と学術会議会員の法的地位の区別について根拠を示さなければならない(両者の法的地位の比較について行政法学者の塩野宏学士院会員「行政法学から見た日本学士院」日本学士院紀要第75巻第2号、2018年参照)。報告は、学術会議の機能の検討に際して他の学術関連諸機関との役割分担に目を配っており(1はじめに(2)我が国におけるナショナル・アカデミー、2頁)、学士院は「学術上功績顕著な科学者を優遇するための機関」であるが、同時に「学術の発達に寄与するため必要な事業を行うことを目的」(学士院法1条)とし、この限りで学術会議と共通の使命をもっている。会員選考の対比は、言及されてしかるべきであった。報告におけるこのような不備の記述は、報告が「法人化ありき」の議論に導かれていることを推測させる。

 報告は、こうして、ナショナル・アカデミーとしての学術会議の独立性・自律性を大前提としながら、その侵害である首相の会員人事への介入に正面から向きあうことなく、「国とは別の法人格を有する組織」を望ましいと結論する。報告は、政府と学術会議の間に生じている原理的係争問題につきあきらかに公平さを欠き、それにふたをしたまま、理想のアカデミーを論じるという撞着に陥っている。

 報告のもっとも危惧すべき問題は、学術会議の在り方の本質を変えてしまうことである。報告は、「2 学術会議の使命・目的」の項において、(1)で現状の問題点を論じたうえで(2)で「現代に即した視点~国民に近い、国民のための学術会議」への改革を要求している。第9回会議に提出された報告案は、この改革について「本懇談会の議論に基づいて学術会議を法人化する場合、学術会議の使命・目的などが質的に異なるものになる」(6頁)という位置づけを与えていた。この記述は、新法人の最初の会員選考を現会員に委ねず特例的な方法を検討すべきことの理由として述べられたものである。報告の最終版では、「新法人の最初の会員選考は、新法人の出発点にふさわしい特例的な方法を検討すべきである」(4機能の発揮に必要な条件整備(1)会員選考、7頁)と簡略にされたが、従前版の「質的に異なるものになる」という表現は、事態の本質を図らずも示したものと考えられる。

 「国民のための学術会議」という新しいコンセプトには、さしあたり何の問題もないようにみえる。この理由づけの議論は報告によると次のようである。現行学術会議法の前文および第2条(「日本学術会議は、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする」)は、「国民と社会を科学を啓発する対象として捉えている印象が強い」、学術会議が「国民及び社会のニーズを必ずしも汲み上げていないのは」目的が「国民生活への科学の反映浸透であったことも一因」、「科学と技術の在り方は(学術会議設立時と異なり-引用者)、現在大きく変わりつつある」、そこでいまや「科学や学術の在り方について『国民に語りかけ問いかける姿勢』『国民の声に耳を傾ける姿勢』が求められる」とされる(報告3頁)。

 ここでの記述には何らのエヴィデンスも示されず、それゆえ委員の印象論が述べられているにすぎない。75年の学術会議の活動が「現状の問題点」としてこのような印象論でひとくくりにされることは、学術会議への注文が岸田首相のキャッチフレーズとほぼ同じであることを措いても、決して公平で客観的でなく、学術会議会長が指摘するように「「科学』に基づく」といえない(学術会議会長「これまでの論点整理(未定稿)に対する見解 『科学』に基づく『協議』を求める」2023年12月18日)。

 問題は、ここからであり、報告は、「さらに遡って考えると」(遡るというのは第2条から前文にまで行くという趣旨-引用者)として極めて深刻なテーゼを示している。「学術会議を『科学者の総意の下に設立された組織』とし、国民及び社会という視点が欠けている現行法の建付けそのものが、国民の支持を基本とする公的組織の現代的な運営の在り方にそぐわない」。そこで「本懇談会としては、学術会議は、我が国の科学者の内外に対する代表機関として・・・国民の総意の下に設立されるべき組織であることを提起する」(報告3頁、太字いずれも引用者)というのである。

 太字で示した差異が第9回会議提出報告案のいう「質的に異なるもの」である。ただし、この表現自体は、上記のように報告最終版では削除されている。また、テーゼの前半「・・・そぐわない」という意見は、その後に「というような意見も聞かれた」と記述が付け加えられ、学術会議の使命・目的を転換させる決定的な論拠という書きぶりではない。報告の書きぶりは、以下に指摘するような変化の意味を十分に理解せず、科学者目線から国民目線への移動、という程度に単純に捉えているようにも見える。逆にそのことは、報告が企図せずにはらむ危険性を示している。

 あらためて現行学術会議法前文を掲記しよう。「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と連携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される」(太字引用者)。この後に第1章「設立及び目的」の下、第1条「この法律によって日本学術会議を設立し、この法律を日本学術会議法と称する。②日本学術会議は内閣総理大臣の所轄とする。③日本学術会議に関する経費は、国庫の負担とする。」、第2条(前掲)が規定されている。

 報告は、「科学者の総意の下に設立」を「国民の総意の下に設立」と転換することを提起している。しかし、報告は、現行学術会議法の原理についてなんら論究していない。現行学術会議法の前文と第1条は、字義通り読んでも、2つの事柄を記述している。1つは、一定の使命をもって日本学術会議を設立するという科学者の総意があり(これについて学術会議法制定の歴史的経過のなかに一定の対応する事実関係がある)、もう一つは、それを受けて国の機関(内閣総理大臣の所轄および経費の国費負担)として日本学術会議を設立する法律を制定し、その法律制定において国民の総意が示されている。現行学術会議法は、このように、科学者の総意と国民の総意の二層によって特徴づけられている。

 報告は、繰り返し引用すれば「学術会議は、我が国の科学者の内外に対する代表機関として・・・国民の総意の下に設立されるべき組織」に転ずべきと提起する。ここに記述される「我が国の科学者」は、現行学術会議法の理解に立てば、たんに個々の科学者の集合ではなく、日本学術会議の設立の総意をもった共同集団として位置づけなければならない。この総意をもった共同集団とは、学術会議法制定時には知られていなかったが、その後の国際的な科学者の役割に関する議論のなかで生まれ、日本学術会議もその議論を受入れ活用してきた「科学者コミュニティ」として特徴づけることができる(第17期・18期学術会議会長の吉川弘之氏はこのコンセプトの意義の普及と定着化に寄与した。同「特別寄稿・科学者コミュニティについて」学術の動向2022年6月号参照。そこには1997~2012年に学術の動向に掲載された吉川氏の論文等40本強の目録が掲記されている)。それゆえ、「日本学術会議は日本の科学者コミュニティの代表機関」として定義されうる。

 この定義は、現在の学術会議の在り方を検討してきたこれまでの政府の基本文書に不可欠のものとして採用されてきた。現在の学術会議体制は、2004年法改正に基づくものであり(前文、第1章、第2章について、総務大臣から内閣総理大臣への所轄の変更以外改正なし)、これを準備したのは法令に基づいて授権された総合科学技術会議による検討であった(「日本学術会議の在り方について」2003年2月26日)。この検討においては、まず科学者コミュニティの果たすべき役割が論じられ、それを受けて科学者コミュニティの代表としての学術会議の使命と目的が位置づけられている。2004年法改正に際しては、国会が附帯決議で、継続して国の機関とされたことを含め改革の成果の10年後の検証を求めていたので、2015年に内閣府担当大臣の下に設置された「日本学術会議の新しい展望を考える有識者会議」がこの役割を担った(「日本学術会議の今後の展望について」2015年3月20日)。この検証報告は、上記と同様に「学術会議は科学者コミュニティの代表機関」と規定し、学術会議の法改正後の改革を肯定的に評価し、組織形態についても「これを変える積極的理由は見出しにくい」という判断を示した。

「科学者コミュニティ」の役割について公式に言及するのは、2006年に学術会議が制定した「科学者の行動規範」(以下たんに行動規範)である(東日本大震災の教訓を踏まえて2013年に改訂)。行動規範は、社会における、社会に対する科学者の責務を具体的に規定する。行動規範(前文)によれば、科学者は「学問の自由の下に、特定の権威や組織の利害から独立して自らの専門的な判断により真理を探究するという権利を享受する」と共に、そのゆえに、「専門家として社会の負託に応える重大な責務を有する。」 それは、「科学活動とその成果が広大で深遠な影響を人類に与える現代において」「倫理的な判断と行動をなすこと」、「政策や世論の形成過程で科学が果たすべき社会的要請」に応えることである。行動規範の具体的規定の順守は、「科学者個人および科学者コミュニティが社会から信頼と尊敬を得るために不可欠である。」

 また、2004年法改正後の最大の提言プロジェクトであった「日本の展望-学術からの提言」(2010年4月公表。2年の活動期間、審議・執筆参加の科学者総数1371名、主報告を基礎づける43本の提言・報告の総頁数1295頁)は、第1章第1節を「日本学術会議と科学者コミュニティ」とし、学術会議を「日本の全ての研究分野を包摂する科学者コミュニティの代表として政府および社会に助言・提言を行う国の機関」と位置づけ、日本の科学者コミィニティを世界の科学者コミュニティの重要な部分であると規定する。

 以上の典拠から示しうるのは、学術会議が法律に基づいて設立された一つの科学者組織としてのみ把握されるべきではなく、社会に対して科学者倫理と社会的使命の自律的実行について共通に責務をおう科学者の共同体、日本の科学者コミュニティを代表するものとして位置づけられるべきことである。学術会議は、このように国民・社会に自律的に責務を負う科学者の代表組織なのである。報告も別の文脈で言及しているが(5頁)、世界科学会議によるブダペスト宣言(「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言-21世紀の科学:新たなコミットメント」1999年)は、宣言を世界に発する主体を“scientific community”と表現し(「科学者コミュニティ」はこの邦訳)、宣言内容を人類社会に対するscientific communityの誓約と位置づけている。また、宣言は、科学者を人類社会の一員、地球の生物の1種として規定している。ブダペスト宣言は、学術会議のその後の活動の基本において取り入れられ、科学者コミュニティのコンセプトを基礎づけた(さしあたり「特集・『科学と科学的知識の利用に関する世界宣言(ブタペスト宣言)から20年を経て』学術の動向2019年1月号」参照)。

 報告は、科学者の総意と国民の総意の二層の総意に基礎づけられる現行学術会議法を、国民や社会の視点を欠いているという根拠を示さない理由で、国民の総意を全面に出し「国民のための学術会議」に改革すべきだと主張している。現行学術会議法が国民や社会の視点を欠いているという批判には、同法の下で活動してきた75年の学術会議の歴史の十分な検討を要請するほかない。

報告は、学術会議の独立性・自律性がナショナル・アカデミーとして不可欠であることを正当にも繰り返し強調している。それを確認しながら、報告に対してここで言わなければならないことは、学術会議の独立性・自律性は、科学・科学者のあり方に由来し、科学に従事する科学者個人と同時に学術会議の設立を総意として求めた日本の科学者コミュニティの、政治権力や社会的経済的利害からの独立性・自律性に基礎づけられており、その具体化であることである。行動規範は、この論理を憲法的原理としての「学問の自由」によって示している。

4 報告は、「国民の総意の下に設立」するというが、特別の国民投票をするわけのものでなく、国民の総意としての法律による設立という以上の意味をもたない。報告の意図をうかがえば、おそらく「国民の総意の下」は、「国民のための学術会議」に連動している。ここで、なんの問題もないように見える「国民のための学術会議」には、大きな落し穴がある。現行学術会議法の前文によれば、すでにみたように、科学者が総意として示した使命は、「わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献」「世界の学界と連携して学術の進歩に寄与」である。また、ブダペスト宣言が科学者コミュニティの人類社会への誓約として発されたことは上述の通りである。「国民のための学術会議」は、人類社会的地平に開かれるべき科学者・科学者コミュニティの使命に対して、これを代表すべき学術会議の活動をナショナルな利益に狭く限定するおそれがある。

 さらに危惧すべきことがある。「国民の総意の下」を全面化する論理は、学術会議への国費の支出という前提条件を理由として、設立された学術会議が「国民の総意」にしたがった活動を行うように管理すべきであるという論理を引き出しうる。この場合の管理の責任主体は、「国民の総意」を現実に担うものとして行政権の属する内閣(日本国憲法65条)となるであろう。ここで想起するのは、菅首相が首相に実質的な任命権限があることの根拠として、国民の公務員の選定・罷免の権利を規定する憲法15条を援用し、この国民の権利を実効あるものにすることが行政権の長である首相の責務であり、学術会議会員も公務員であるかぎり首相の人事管理権に服するという解釈を主張したことである。学術会議法による会員選考の自律性保障に反して、国民の権利を守るためと理由づける憲法規定の強引な解釈によって首相の会員人事介入権限をひねりだしたのである。これは、政治の万能に導く極めて危険なやり方である。「国民の総意」論は、同様の機能を担いかねない。

「国民の総意」論は、報告が擁護し実現しようとしている学術会議の独立性・自律性を科学・科学者のあり方、科学者コミュニティの代表機関としての学術会議というあり方と切り離すことによって、学術会議の法的規制を政治と行政の論理・価値判断に引き込んでしまう危険性を示している。科学者目線から国民目線へ、科学者のための学術会議から国民のための学術会議へという、報告の名分(しかし、学術会議にとってそもそもこうした改革の定式化は受け入れられないであろう)は、その作用において、学術会議を「政府のための、政府に都合のよい学術会議」に変質させるチャンネルになりうる。政府による学術会議改革は、根本において学術会議、科学者コミュニティと政府、普遍的な科学と政治の関係のあり方に関わるものであり、報告は、ここにおいて、学術会議の在り方を変質させる重大な提起を行っているとみなければならない。この変質は、「学問の自由」を軽視する政治の在り方を容認するものであり、決して学術会議を国民のためのものにする方途ではない。

 報告は、法人化によって学術会議と政府との「矛盾」が解消し、学術会議の独立性・自律性が確保され、国の機関としての制度上の制約がなくなって財政活動も自由となり、学術会議の活動が大きく発展すると見通す。その上で、政府に対しては今後の制度設計を要請し、学術会議に対しては「現状をベースにした改善に甘んじることなく、この機会に抜本的な改革を行い、国民及び社会からも政府からも頼りにされ信頼されるアカデミーとなることを強く期待して」(15頁)締めくくられる。

 報告を受けて、内閣府特命担当大臣決定として「日本学術会議の法人化に向けて」が公表された。文書作成における懇談会と担当事務局の関係は詳らかにしないが、議事録をみると事務局において並行作成されたようである。法人化に向けての具体的検討事項は、懇談会の議論から出てきたものが整理されつつ、他方、事務局の考えが懇談会に持ち込まれ、懇談会報告と大臣決定は、前者に基づき後者が策定されたという時間的(論理的)前後関係にあるのでなく、いわば同時並行の形成プロセスを経たように見える。懇談会は、一方で学術会議と、他方で学術会議が反対した学術会議改正法案を作成した内閣府を両当事者として、学術会議改革の方向を公平に審議検討するという構えをついにきちんと示すことがなかった。

 では、報告と大臣決定が示す学術会議の法人化は、その具体像において、報告が企図するように、学術会議が独立性と自律性を堅持しつつ、より自由な制度条件の下で活動するナショナル・アカデミーとして国際的にも誇りうる展望を示しているであろうか。上述の二つの本質的な難点を踏まえて、報告が展望する具体像の問題を指摘する。

 ふりかえれば、昨年4月に撤回された内閣府の学術会議法改正案は、「学術会議が国民から理解され信頼される存在であり続ける」ためとして、具体的に①6年間の事業運営の方針の作成及び運営の状況についての自己評価の実施、および②会員候補者の選考の全体について学術会議の諮問をうける会長任命の外部者からなる「選考諮問委員会」の設置を示した。この案が学術会議、科学者コミュニティ、そして多様な市民団体から批判されたのは、学術会議の独立性・自律性の保障に抵触するという理由であった。とくに選考諮問委員会は、首相の実質的任命権を前提に、その前裁き機関となると指摘された。

 報告は、「ガバナンスの強化」(4機能の発揮に必要な条件整備 (5) )において「活動・運営の透明性の向上や自律的な組織として」また「(国庫の負担がある組織なので-引用者)財政民主主義の観点」からという理由づけで、「組織運営のサポート機能の充実」および「第三者の視点からの透明な評価・検証」を求め、後者については具体的に「監事」および「評価委員会(仮称)」の設置を提起している(12-13頁)。

 これを受けた大臣決定は、遠慮会釈なく具体的な制度設計を示している。①会員選考につき外部の有識者からなる「選考助言委員会(仮称)」を置き「選考に関する方針等を策定する際にあらかじめ意見を聴く」。②「予算・決算、中期的な計画その他の運営に関する重要事項について意見をのべる」「運営助言委員会(仮称)」を置き過半数を外部有識者とする。③「業務、財務及び幹事会構成員の業務執行状況を監査」するため「監事」を置く。④学術会議は「毎年、業務執行、組織及び運営等の状況について」自己点検、自己評価を行い公表する。そして、⑤学術会議に「求められている機能が適切に発揮されているかという観点から、業務執行、組織及び運営等の総合的な状況について中期的な計画の期間ごとに評価を行う」ために外部有識者からなる「日本学術会議評価委員会(仮称)」を置く。学術会議は、中期的な計画を策定するに当たって評価委員会の意見を聴くとされる。

 大臣決定による具体的制度設計は、次のことを示す。第1に、撤回された法改正案の内容は、学術会議の独立性・自律性を侵害すると社会的に批判されたけれども、新法人のガバナンスにすべて盛り込まれている。第2に、報告において明記されなかった事項について大臣決定は、政治主導で決定的に踏みだしている。選考助言委員会および運営助言委員会は、報告の制度化の提案を受けて大臣決定が委員会名称をはじめ具体化している。この2つの外部者関与委員会は、大臣決定によれば、会長の任命である。このように会長任命の委員会ならば、法律で委員会設置が指示されても、学術会議の会則による自律的な規制が考えられないわけではない。これに対して、監事および評価委員会は、大臣決定によれば「主務大臣が任命する」とされる。この点は、報告にまったく触れられていない。とはいえ懇談会は、第10回会合で大臣決定案を事務局から示され意見を聴かれ、座長は「基本的に中間報告の考え方に沿い」委員も「肯定的な受けとめだった」ので「懇談会としてもこの方針を了解」とまとめている(第10回議事録21頁)。つまり、懇談会は、主務大臣任命の評価委員会が学術会議の活動全般をチェックする機能をもつことについて了解したことになった。学術会議は、評価委員会を介して、制度上、主務大臣のコントロールを受けるという地位に置かれる。これは、学術会議の独立性・自律性を侵害するものではないのか。

 報告は、評価委員会を次のように位置づけ、「独立性とは別の問題」と説明している。それによれば、「あらかじめ定めた基準に基づき、求められている機能が適切に発揮されているかどうかという観点から、第三者によって事後的にその妥当性について評価・検証が行われることは、活動・運営の透明性の向上とクオリティの確保、国民の理解と信頼などの観点から不可欠」(13頁)だからである。なるほど、第三者評価の意義づけとしては、周到なものである。

 報告は、学術会議の科学的助言が「政府の方針と一致しない」「政府の方針に批判的」でありうることを当然に認めている(4頁、13頁)。だからこそ、法人化が必要と論理づけた。このように報告が当然視する政府の方針を批判する科学的助言を行う学術会議にとって、政府は決して第三者ではない。主務大臣任命の評価委員会は、「国民の総意」による正当性をもって、学術会議のパフォーマンス評価の任務を与えられる。大臣決定によれば、学術的根拠に基づく科学的助言によって政府の方針批判をも行う使命をもつ科学者組織に対して、政府任命委員会が活動全般に意見を述べ評価する権限を法律的に持つのである。これは、学術会議の独立性・自律性の尊重・擁護の懇談会の立場と明らかに矛盾している。報告は第三者評価の意義づけに問題をすりかえ、これに目を塞いでしまった。ついでにいえば、PT案も外部有識者で構成する会員指名委員会とならんで評価委員会を重視していた。

 パフォーマンス評価は、国による財政支援に連動する。報告は、法人化後の新学術会議の財政について「ナショナル・アカデミーの意義及び性格を踏まえて政府が必要な財政的支援を継続して行うことの重要性を、本懇談会としても改め確認する」(14頁)と述べつつ、「独立して自律的に活動する学術会議が、国費に完全に依存するのではなく、少なくとも将来的に一定程度の自主財源を確保することは極めて自然なことであり、メリットも少なからず存在する」として「財政基盤の多様化」(11頁)を打ち出している。このソフトな記述に対して、大臣決定は、まず「財政基盤の多様化に努める」「その上で、必要な財政的支援を行う。外部資金獲得の支援に必要な措置も検討する」と順序を入れ替えた書きぶりになっている。パフォーマンス評価は、「必要な財政的支援」に関わり、そこでは内閣府担当大臣のみならず財務省の介入をだれしも想定する。報告が誠実に財政支援の確保を考えるならば、現行学術会議法1条3項「日本学術会議に関する経費は、国庫の負担とする」に準じた法規定を明確に提案すべきであった。

「財政基盤の多様化」は、報告によって学術会議の「独立して自律的な活動」を確保するために重要な条件と位置づけられている。その内容は、しかしながら、国庫に依存しないという意味での独立や自律であっても、科学的助言組織としての独立性・自律性の確保に資するどころかこれに反するおそれが大きい。現行学術会議法の下で学術会議が政府や社会の諸利害の忖度なしに、公共財として(だれでもアクセスでき利用できる)科学的助言を発出できたのは、いうまでもなく上記した1条3項による経費の国庫負担があるからである。

 報告は、財政基盤の多様化の方策として、「活動の幅の拡大」の項目において「産業界との連携・協働」の1つとして「対価を徴収して審議依頼に応じる」こと、「メディア等との連携・協働の拡大強化」の1つとして「対価を得て継続的に学術的・科学的知見を提供」することをあげている(10頁)。その他には「寄付金等による自主的な財政基盤の強化」(11頁)があげられる。平たくいえば、財政基盤の多様化とは、「稼ぐ」か、「貰う」ことである。PT提言は、「自主的財政基盤の強化」として「政府や民間からの調査研究委託による競争的資金の獲得、会員や各学会からの会費徴収、民間からの寄付」と分かりやすく説明している(PT提言5頁)。

 学術会議は、日本の科学者を代表する科学者組織として、多様な専門領域をこえて学術的見地から独立に自律的に科学的助言を行うものである。これは、現行学術会議法の下で活動する学術会議について、だれしも納得する説明であり、時代の要請する科学的助言をどう作り上げ、どう発信し、社会に意味あるものにするかということに学術会議は努力し多くの工夫を積み重ねてきたのである。繰り返すが、そのような科学的助言は公共的なものであり、特定の社会経済的利害に関与するものでないからこそ、経費が国庫によって負担されていた。「対価を徴収する」活動を行うという論点について、懇談会に対して学術会議から懸念が示された。当然のことである。報告の最終版は、学術会議の懸念に言及し、これについて「主要先進国のアカデミーにおいても腐心していると推察される」、「外部資金の受け取りに必要なルールの整備等が検討される必要がある」(11頁)と述べている。

 報告は、「腐心」を「推察」するという他人事としてでなく、学術会議の科学的助言を対価徴収型、儲ける仕事に変えることがどんな問題を生むかを正面から論じるべきであった。新学術会議は、競争的に委託研究費を提供できる民間大手事業者や学術情報を独占的に利用する大手メディアなどを顧客とせざるをえなくなり、また、主務大臣や財務大臣が財政支援に際して、新学術会議の対価聴取型活動の促進を勧奨する事態に直面するであろう。こうなれば、報告の掲げる「国民のための学術会議」は、看板倒れである。学術会議の懸念は本質的であり、報告はここでも法人化の結論のために問題に深入りすることを回避した。

 最後に報告の「会員選考」についての提案をみておこう。報告の核心は、会員を公務員でなくしてしまうこと、これによって政府の関与をなくし、学術会議の会員選考の独立性・自律性を達成するいうところにあり(4機能の発揮に必要な条件整備 (1)会員選考)、「会員の資質・任期」について法人化を理由とする固有の意味ある提案はなく、他方で学術会議がこれまで行ってきた会員選考の実績を過少評価しているようにみえる。たとえば、「優れた研究又は業績がある科学者」であると同時に「異分野をつなぐ能力及び社会と対話し課題解決に取り組む意欲・能力」が求められる(8頁)と述べるが、学術会議の会員選考では、前者が法律に基づく必要な要件であり、関係者の言によれば、当然に「会員としてしっかり活動してくれるかどうか、その能力があるかどうか」が上積みの選考基準となっている。学術会議会員が専門領域において優れた科学者であり、同時に日本学術会議の使命の達成に必要な能力と意欲をもつべきことは、日本学術会議憲章(2008年制定)を一読すれば明らかである。また、「科学と学術に対する高い見識をもつ学術研究者を個人として評価し選考することが担保される仕組み」として例示的に「複数回の投票制」の導入が示され(8頁)、大臣決定でも「海外諸国にみられるような現会員による投票制度の導入」として言及されている。専門領域におけるピアレビュー的な会員選考を基本に、領域を俯瞰した(レビュができないので)選挙の方法による会員選考を加えるのならばともかく、前者に替えて後者を採用ということであれば学術会議の使命・目的(すべての分野の科学者による総合的科学的助言)に照らして疑問である。

 大臣決定は、会員選考について、上記した選考助言委員会の設置以外、コ・オプテーション方式を選考方法の前提にすることだけを示して具体案を示していない。会員の任期、定年、定員、連携会員の在り方など、すべてこれからの検討事項としている。選考方法を含めて、これらの制度の具体的改革は、学術会議の活動の蓄積と総括を踏まえて学術会議が主体となって改革案を作ることなしには成功しない。会員選考についての報告と大臣決定の実質のなさは、それを示している。  

 会員選考について、外国人会員の実現が法人化の明確なメリットとみなされている。外国人会員不在は、学術会議が「ダイバーシティの低い組織にとどま」り「レピュテーションリスクさえ懸念され」「国際的にも国内的にも支持を失うことにつながりかねないという危機感を持つべき」(9頁)と最大限の表現で法人化必至の理由とされている。学術会議の外国人会員問題は、これまで国内学会からの批判的指摘もあり、学術会議総会で議論された。障害は、学術会議の旧弊踏襲などでなく(報告の表現は学術会議に責任があるという書きぶりである)、日本の公務員法の法解釈が「公務員当然の法理」として明文の禁止規定がなくとも外国人の公務員就任を違法としてきたことにある。

 周知のように国立学校教員については、「国立学校外国人教員任用法」(1972年)によって外国人就任の道が開かれた。同法は、その目的として「教育及び研究の進展」と「学術の国際交流の推進」を規定している。学術会議会員の使命も学術の発展および学術の国際交流の推進であり、外国人会員について具体的条件を勘案して職務の在り方を工夫すれば、任用法に準じた処遇が可能であろう。この道の途絶を絶対化して法人化論の重要な根拠とするのは、本末転倒の議論である。

 報告は、そして大臣決定も、内閣府(政府)における「法制化に向けた具体的な検討」を「学術会議の意見を聴きながら」進めるとしている(報告1頁、大臣決定1頁)。現行学術会議法の下で、学術会議は日本の「科学者の内外に対する代表機関」であり、現会員は法に基づいて正当に選任された代表としての科学者である。科学者の総意の下に設立された学術会議について、政府が改革を主導し、学術会議は意見を聴かれるだけ(「聞き置く」という言葉もある)ということがあってはならない。

 学術会議は、内閣府の学術会議法改正案に懸念を表明した第187回総会(2023年4月18日)において、「日本学術会議のあり方の見直しについて」「日本の学術体制全般にわたる包括的・抜本的見直しを行うための開かれた協議の場」を設けるべきことを勧告した(学術会議法5条に基づく)。岸田文雄首相に対して同法案の再考を求めて公表された学術会議歴代会長5名の要請書(2023年2月14日)も、「政権と科学者コミュニティとの、政府と日本学術会議とのあるべき関係」について「一部の科学者や政党プロジェクトチームのような狭い範囲でなく、より長期的視野の公平な検討の仕組みの下での議論が行われ、科学者を含めた社会のなかの議論、そして与野党を超えた国会での議論」が必要であると述べていた。報告は、勧告および歴代会長の要望書が想定している「日本の学術体制全般」への視野をまったく示していない。総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の有識者議員懇談会による「日本学術会議の在り方に関する政策討議取りまとめ」(2001年5月からの討議のまとめ。2022年1月)は、科学技術政策の形成についてCSTIと学術会議を「車の両輪」と認識し、その観点から学術会議の自己改革を期待した。報告はこれも度外視した。

 懇談会は、これらに目配りすることなく、個々のメンバーの思惑はともあれ、結果において政権の法人化方針を短期間に処理する審議会の役割を担うものとなった。懇談会が、ナショナル・アカデミーとして日本学術会議の独立性・自律性を尊重し、擁護する立場にあったことは疑いないが、報告はそれに反する危惧すべき問題を抱え、提示された法人への移行および法人の具体像が現行学術会議法の基本構造を解体する選択肢になるものとは、とうてい考えられない。中間報告を受けて早々に大臣決定が行われ法人化方針が示されているが、懇談会は批判的意見などを勘案し、「最終報告」を提示する責任があるのではないか。

 日本学術会議が科学者の総意に基づき設立され、日本学術会議が科学者コミュニティの代表機関であり、科学者コミュニティの総意を現実に示しうるのは、唯一、学術会議であるという現行学術会議法の建付けにしたがうならば、報告と大臣決定は、なお内閣府の提案の域にとどまる。これを科学者の総意がどう評価するか、科学者コミュニティとその代表機関である学術会議が主体的に改革をどう展望し、そのなかでこの提案をどう評価するかは、これからの問題である。学術会議は、その使命として、科学者コミュニティの総意を代表し、自律的改革をもって政府に対しなければならない。学術会議の改革構想は、これまで示されているように現行学術会議法の基本構造を踏まえながら、さらに法改正を要する制度について積極的展望を打ち出し、科学者の総意をあらためて結集し、国民に支持を求めることが望まれる。

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