2024年12月17日
大学の危機をのりこえ、明日を拓く大学フォーラム(大学フォーラム)運営委員会
大学フォーラムは、2020 年10 月の日本学術会議会員任命拒否問題が生起して以降、日本学術会議と政府の関係をめぐる動きを注視し、必要に応じて声明の発出などの取り組みを行ってきた。現在、政府による学術会議改革の議論のとりまとめが最終盤に入ったと見られる。大学フォーラムは、事態の深刻さに鑑み、緊急声明を発して広く市民と関係者に訴えるものである。
1.いま、どのような事態に立ち至っているか
「日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会」(以下、懇談会)は、2023 年8 月に内閣府に設置され、ほぼ1 年前、2023 年12 月に「中間報告」を出して日本学術会議(以下、学術会議)が国の機関から離れて別の法人格を有する組織になることが望ましいと提案した。これを受けて内閣府特命担当大臣決定の「法人化に向けて」が公表され、学術会議「法人化」の方針が示された。その後、「中間報告」の内容をさらに詰めるため、2つのワーキンググループ(以下、WG)が設置されて審議を継続し、それを踏まえて懇談会の「最終報告」が、いま準備されつつある。懇談会は、2024 年11 月29 日(第13 回)、12 月13 日(第14 回)と続けてWGからのまとめの報告を受けた。近々にさらに懇談会開催、連動して学術会議において年内に臨時会員総会開催の予定と伝えられている。懇談会の「最終報告」が出されると学術会議の態度決定が迫られるというのが、いまの事態である。
学術会議「改革」は、2020 年10 月の菅首相による会員候補者6 名の任命拒否に端を発し、これに対する社会の批判をそらしつつ、かつ、これを利用して自民党が手を付け始めたものである。2020 年12 月に自民党政調会プロジェクトチーム(「「政策決定におけるアカデミアの役割に関する検討PT」以下、自民党PT)は学術会議改革案をとりまとめ、所管の内閣府がこれを受けて2022 年12 月に学術会議の改革方針を策定し学術会議に提示した。学術会議は、前期第25 期(2020.10-2023.9)、梶田隆章会長の下、一貫して任命拒否問題を批判し、政府による一方的な改革案提示に懸念を表明し、改革問題について学術会議との対話を求めて対峙した。上記内閣府提案は、学術会議を国の機関に留めるものの、運営や会員選考に新たな制度を設け国の介入を図るものであり、学術会議会長経験者による批判声明、世界的なノーベル賞受賞者連名の懸念表明、国内学協会、市民団体などからの批判に直面した。この情勢をうけて、内閣府担当大臣が首相と諮り改正法案を撤回することを表明した(2023 年4 月)。
学術会議改革問題はこれで終息せず、新たな段階に入る。2023 年6 月、岸田政権は「経済財政運営と改革の基本方針」において学術会議改革につき「法人とする案等を俎上にのせて議論し、早期に結論を得る」と決定し、内閣府はこれを進める部隊として2023年8 月に懇談会を設置し、今日、上述の事態に立ち至っている。では、懇談会は、どのような最終報告を準備しているのか。
2.「法人化」案は「任命拒否」を前提し、これを利用して学術会議の変質を図るものである
上記第13 回、第14 回懇談会において、2つのWG による「これまでの議論と今後の検討(未定稿)」は「学術会議が国民から求められる機能を十分に発揮し、国民から負託されたミッションを果たしていくためには、国とは別の法人格を有する組織になることが望ましい」という結論を前提に記述が行われている。
学術会議の法人化論は、2004 年の学術会議法改正の際、行政改革の枠組みの中で改革の1つの方向として論じられたが、この方向は採用されず、2004 年法改正の10 年後の検証において、国の機関としての在り方が適切であると評価され議論の決着はついたと思われていた(「日本学術会議の今後の展望について」日本学術会議の新たな展望を考える有識者会議、2015 年3 月20 日)。それゆえ、法人化を持ち出す議論は、学術会議にとって同有識者会議のこの結論を無視する政府の一方的な議論であり、法人化論に道を開いたのが2020 年10 月の「任命拒否」である。菅首相は、任命拒否の悪評に反転して学術会議の改革必要性を押し出し、すぐさま呼応した自民党PTの改革論の結論が法人化であった。
自民党PTと懇談会の「なぜ法人化か」の理由づけは、ぴったり同じである。政府の介入を避け、学術会議の独立性を確保するためには、首相の任命権に服する国の機関から離れ、自主的な法人となるべきである、というのである。この論理は、あえていえば、被害者責任論、つまり、犯罪の発生について犯罪を誘発した被害者に責任があるという論である。任命拒否は学術会議の独立性からみて問題があるが、なぜ起こったかといえば、国の機関であったからという論理である。ある委員は会議で、任命拒否を「国際的にも非常に恥ずかしいこと」と発言するが、恥ずかしいことをしたのは学術会議ではなく、従前の法解釈と歴代首相の形式的任命の実績を無視した菅首相である。
懇談会の論理に立つと、菅首相の歴史的「違法行為」こそ学術会議の新しい発展を基礎づけるものとなる。懇談会は、政治によって先取りされた法人化をあれこれの議論で理由づける表舞台の役割を果たしているにすぎない。そこでは、現代世界における独立の科学的助言の意義とその在り方という一番大事なことがまったく議論されない。公正な立場で首相の任命権が学術会議の独立性確保に現実の最大の障害となったと認識すれば、学術会議会員と同じ法的地位(特別職の非常勤公務員)にある日本学士院会員の選定方式を取り入れることが最も簡明な改革である。学士院会員は、学士院規則に定められた選考手続きを経て総会の承認によって選定され、首相の任命などない。この方式は、科学者組織としての独立性を最も尊重している。
3.「法人化」案は「金をだすから口をだす」の典型的な論理を展開している
懇談会では、法人化しても国が学術会議を財政的に支援することは当然であり、これまで以上に国に支援してほしい、法人化すれば、このような国の支援に加えて自らの甲斐性で稼ぐことができよりよい条件が生まれるなどと議論されている。上記の2つのWG 作成「これまでの議論と今後の検討(未定稿)」(12 月13 日版)によると、改革の制度設計の「基本理念」が7 項目挙げられ、第1 は「会員の主務大臣任命を外し、海外アカデミーのように政府が会員選考に関与しない」である。これが法人化の根拠であり出発点である。そして最後の第7 で「学術会議が国民から期待される機能を十分に発揮するという前提の下で、国が必要な財政的支援を行うことを明らかにする」と書かれている。
この出口の命題は、国の財政支援が学術会議の活動次第であると述べるものである。その活動については、「外部の意見を幅広く聴く仕組み」、「ミッションに沿って活動していることを国民に説明する仕組み」が「少数の科学者だけが内輪の論理で独りよがりになってしまうのではないかという懸念を生じさせないためにも、国民との約束として法律により担保されることが求められる」と注文されている。これらの「仕組み」は、「中期的な活動の方針」策定、「運営助言委員会」・「「選考助言委員会」および大臣任命の「日本学術会議評価委員会」の設置、また大臣任命の監事の設置のような制度として同文書で事細かく理由づけが行われている。ここでWGが基礎に置くのは、国の機関でない独立の法人が国から財政支援を得るためには法制度的担保が必要だ、国民の税金を投じるからには国民への責任があり、金を出すからには口をださなければ、という行政的論理である。
今期第26 期(2023.10-)の光石衛会長は、2024 年7 月29 日の懇談会(第12 回)の席上、学術会議の提出文書「より良い役割発揮のための制度的条件」(第11 回、6 月7日)を踏まえて「近視眼的な利害に左右されない独立した自由な学術の営みを代表するアカデミーの活動」を阻害しないため、懇談会提案のうちとくに次の5 項目をとうてい受け入れられないものと述べた。①大臣任命の監事の設置の法定、➁大臣任命の評価委員会の設置の法定、③「中期目標・中期計画」の法定、④次期以降の会員選考に特別の方法の導入、そして⑤選考委員会の設置の法定、である。光石会長は、このような学術会議の懸念が払しょくされないまま、懇談会が取りまとめを行うならば、「日本学術会議として重大な決意をせざるをえない」と締めくくっている。
学術会議に関わる制度設計は、政府と社会に対し独立に科学的助言を行う科学者組織としての独立性と自主性を確保することを基準に行われるべきである。学術会議の国民に対する責任は、学術会議が自ら科学者の社会的責任を基本に、たえず自覚し、活動によって自律的に示すべきものである。現行学術会議法の仕組みは、学術会議が独立性と自主性の上に国民に対して責任を果たす活動を進める土台となってきた。会員任命拒否を逆手にとった政府による学術会議改革=法人化は、この土台を覆すものである。
4. 現行日本学術会議法の意義が正しく理解されなければならない
1948 年制定の日本学術会議法の核心は、その前文において学術会議が「科学者の総意の下に…設立される」と規定することである。「中間報告」は、この表現が「国民の支持を基本とする公的組織の現代的な運営の在り方にそぐわない」として「国民の総意の下に設立されるべき組織」に変更すべきであるとした。WG でも「国民の総意の下に設立」(第11 回6 月7 日懇談会提出資料)というタームが強調されている。現行日本学術会議法は、学術会議をもって「科学者の総意の下に設立」され、それゆえ独立で自主的な科学者組織であることを承認し、法によって、つまり「国民の総意」として、その活動を保障するために、制定されたのである。「科学者の総意」と「国民の総意」の二重の総意に基づいて、現行学術会議法は、70 年を超える日本学術会議の活動の土台をなしてきた。懇談会が批判し変えようとするのはこの二重の構造であり、それは学術会議の独立性と自主性の根幹を奪うことに他ならない。
上記の「これまでの議論と今後の検討(未定稿)」は、「国民の総意の下の設立」という表現を避けて「国民との約束」を法制度化すると言っている。菅首相が任命拒否を言いつくろう際に使ったのは、首相には憲法第15 条の国民の公務員選定・罷免の権利を適正に確保する責任があるという論理だった。菅首相は、任命拒否を「国民の権利」を守るここと強弁したのである。「国民との約束」の履行は、「国民」の名において法に基づき政府によって強いられるものとなろう。法人化論が学術会議の活動と運営に対する政府介入の新たな設計であることは、明白である。
5.いま、なにを求めるか
いま、望まれることは、学術会議が年内開催予定の総会において、光石会長の下、一致協力して、法人化推進の懇談会「最終報告」に毅然として対峙することである。懇談会には、法人化論に対する多くの厳しい批判と学術会議の懸念を真摯に検討し、批判と懸念を払しょくする「最終報告」を求めたい。少なくとも、懇談会は、学術会議との間で「最終報告」について協議が成立しないとき、これを決定すべきではなく「未定稿」として協議を継続すべきである。そして、政府は、学術の独立性を擁護する歴史的な責任の前に立っていることを認識し、「改革」と称する学術会議への介入を止めるべきである。