大学フォーラムの「社会への呼びかけ」に賛同していただいた方々からのメッセージをご紹介します.
※寄せられたメッセージは,誤字・脱字や文法の誤りも含めて,そのまま掲載しています.
高等教育政策・「大学改革」へのご意見
- 大学改革」問題の中でも、とりわけ、(教員養成大学・附属学校改革)有識者会議によって敷かれたレールによって進行している、教員養成系大学・学部の問題(教職大学院一本化=従来の大学院専門修士課程の消滅・予算削減・教科内容専任教員欠員・附属学校問題…)は、「大学」としての存在の根本を破壊し、押し付けられた人材養成機関化への道です。それは、日本の教育のあり方の基盤もゆるがす大問題でもあると思っています。
- これからの社会の為に基礎研究をする上で、選択と集中よりも、広い分野で研究を進め、未来のイノベーションの種を蓄えるべき
- 私は齢90まじかですが、日本では近世以来の “spport but not controll” なる大学に関わる基本理念、 “spport but not controll” が、日々忘れ去られつつあるのを危惧しています。
- 一時流行った「米百俵」、その本来の意味を思い出すべきではないか。
- 資源に恵まれないわが国で、一番大切なのは教育だ。誰でも等しく安心して学べる教育環境を整えることそこ優先すべき課題だ。
- 文科省や反知性の与党議員、古くさい重厚長大産業の経営者の集団である経団連が主導する小手先の「大学改革」はすぐさまやめるべきである。多額にふくれあがった軍事費を削減し、教育に予算を付けることを求める。
- 科学あるいは広く学術に対して全く理解のない政治家が直近の経済的な利用価値だけを評価基準にして大学を支配しようとしている。安倍首相がOECD閣僚理事会で行った演説 (2016)「だからこそ、私は、教育改革を進めています。学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています。」これでは、大学ではない。
- 学術、科学・技術の崩壊、大学の危機の根源は、2001年の国立研の法人化、2004年の国立大学の法人化に基づく政権(文科省・官邸)による基盤的予算削減(私学助成の大幅削減を含め)、管理統制の強化にあります。構造的な管理統制の出発点となった独立行政法人化と学術体制の変革が必要です。
- 基盤的研究経費が「専守防衛」のはずの防衛費と比較にならないくらい貧弱であるということに、これからのこの国の在り方への危機を感じます。基礎的研究を軽視し、競争的経費を優先する科学技術政策が行き着く先は「基本的人権」を放棄し「能力主義」「成果主義」「自己責任論」が跋扈する社会です。
- 軍事費を削減し、福祉、教育研究費などの増額に振り向ける。国立大学への予算配分を文部科学省でなく大学教員の自主に委ねる必要があるのではないか。
- 軍備強化よりも人を育てる事に社会がもつ富を使いたいです。
- 現役時代に、文科省の「競争に輝く大学」の方針に、「連帯に輝く大学」を対置して闘いました。文科省は、長期にわたって大学を統制下に置き、学問自由を奪おうとして来ています。私学の建学の精神も邪魔扱いして来ています。許せません。
- 国立大学の、評価なき「評価方法と評価結果」に、極めて基本的な疑問があります。
- 今の改革は、当事者不在です。とくに授業を受ける側の学部生・大学院生の声が無視され続けています。大学の設置基準を緩和しておいて、大学が増えすぎた、予算を削減しながら研究力が落ちているという。その原因をつくっているのは政府の無為無策です。ぜひ聞きたいですが、私の分野はどれだけ先行研究にあたり、一次資料を使うかにかかっています。それなのに予算削減のあおりを受けて論文契約数が大幅に減っています。これでどうやって以前の水準を維持しろというのでしょうか。いかにも戦前日本的な精神論にしか見えません。
- 今日の日本における大学の危機は、憲法23条の「学問の自由」およびこれに基づく「大学の自治」の崩壊の危機であり、大学人・市民はその問題に直面しています。現状の国公私立大学の運営、教育・研究のあり方に対する、政府・文部科学省の政治・行政介入はあきらかに憲法違反です。大学フォーラムに期待したいと思います。
- 新自由主義を土台とした教育に日本の未来はないと思います。日本型フレキシキユリティを目指したいです。『学び続けなさい』と子ども達に言う時、今の日本では、『一生資本に奉仕し続け、安価で有能労働力として身を捧げ続けなさい』という呪いにしかなりません。『学び続けなさい』という言葉が、呪いにならない未来の日本を望みます。
- 政府による目先だけの研究費配分には反対です。今こそ基礎研究が必要だと考えます。
- 地方国立大学をつぶす、あるいは冷遇することは、ただちにその所在する地方そのものを冷遇し、そして過疎化させることにつながります。そのことは、ただちに主権者である国民から国家行政を担う権限と責任を付与された国家権力担当者の責任放棄であるばかりか、国民に対する背信行為です。ただちに大学政策を、国民・住民のためのものへと変更することを強く求めます。
- 日本の大学と大学教員を「改革」から解放しましょう。
- 日本は今、高等教育に向き合う時だと思います。大学は就職学校になって良いのか、それとも個々人がより自身の学びを深め個性を伸ばす場所にするのか。また高い学費はこのまま自己責任で放っておくのか、それとも値下げに踏み出させ次の世代の成長への可能性を少しでも高めるのか。私はまだ学生ですが、現状の制度のまま下の世代にバトンは渡したくありません。より個々人の学ぶ権利が今より尊重された社会をつくり、彼らに託したいです。大学フォーラムの活動は下の世代の可能性を広げる活動だと感じています。だから私は賛同します。
- 文教予算の「異次元」の増額、研究者志望の若者に余裕ある生活展望を保証すること。
- 小学校教員も教員養成系の大学・学部の影響は免れません。
- 今日の国立大学の組織、機構の荒廃振りは甚だしく、この時期に大学を卒業して就職した者が何がしかの給料を手にする中、さらに研鑽するため大学院に進学した者は授業料を支払い、さらに一身を掛けて博士課程に進学し、卒業と同時に大学、公的研究機関に職を得た者は皆無に近く、この事情は“化学と生物”誌への優秀な投稿者の経歴を見れば明らかで、ポストドク、非常勤、特任助教、講師が殆どで、いまや研究資金の不足どころか生活費にも事欠く状況の中、自殺者も出る異常事態となっている。上記の事情を考える時、この蔭に未だ多くの潜在的な自殺者がいる事を忘れてはならない。同じ研究者として彼らの自殺を思う時その無念さは測り知れない。この点同じ博士研究者でも利益優先の企業の研究者とは質的に異なるのである。これは教育行政の欠陥が原因で、院生の増加策にも関わらず、大学のポストや教員数は増加するどころか寧ろ減少し、教員の補充がないがため、大学の講座や研究室の廃止や不完全教室や講座が増加している事が主な原因である。このような有り様は大学学部にも影響を与え、以前の教養部なる課程もない中、学部学生は広く考える事なく、大学は学部学生が職を得るための一時しのぎの場と化している。学部学生のみならず若い研究者の思考力の低下も顕著で、この状態は東大、京大で行われたハーバード大学教授マイケルサンデルの“哲学白熱教室”の内容を見れば明らかである。それにしても先日の戦闘機(100億円以上)の墜落、命は等価であるとしても、翻って見れば、このお金を1億円ずつ等分すれば上記の様な自殺者の100人の命が救える事になる。これは戦闘機一機での話である。あまりの矛盾に言葉を失う。大学院はおろか、博士号も持っていない文部官僚の無知で硬直した姿勢に怒りを覚えるが、今や大学のポストドクや非常勤、特任助教、講師の救済は緊急で、然るべく善処を願う次第です。純粋研究に重点を置いて稚拙な意見を書きましたが、“教育行政の貧弱”は“国の貧しさ”そのものを現す事を忘れてはならない。何故なら教育はいずれの国にとってもその根底を成す物だから。小生も現在研究にまい進中で、この様な形での参加のみにてご容赦ください。それではこの会が発展し、何らかの成果が得られることを願って失礼します。
- 21世紀が教育と文化の世紀となり、世界平和が実現することを望んでいます。
- 大学が益々本来の大学でなくなりつつあると感じています。知性のかけらもない政治が支配するこの国の姿を一日も早く変えなければと思わざるを得ません。
- 国立大の博士後期課程を修了予定の者で、化学系の研究室に所属しております。私の立場から見えた大学・大学院生をとりまく現状について、述べさせていただきます。/これまで、私の周りの優秀な先輩・後輩たちが、博士後期課程への進学を視野に入れて研究室に配属されたものの、大学教員の研究・教育に対する考え方、社会における大学のあり方に不信感を持ち、進学を辞める姿を数多く見てきました。また、博士後期課程を修了しても、同様の懐疑的心境や官学の施策への不信感から、「ポストが存在するにも関わらず」民間企業への就職を選択するような状況も多く見られます。純粋な学問研究ができないことに対する不満の現れであると感じております。/このような大学生・大学院生が持つ、絶望感にも似た感情と、それに伴う否定的進路選択は、見るに耐えません。/政策や資金源によって拘束された研究テーマを実行することを強いられた大学院生は、自らの発想力を試す機会を奪われ、勉学・研究に勤しむ根源的動機を保つのが困難であるように見えます。これは、昨今話題に登りつつある大学・大学院生の金銭的待遇改善やポスト拡充のみで解決できるような問題では無く、大学運営や研究費分配に関わる制度を含む複合的要因によってもたらされた問題であると実感しております。/一連の大学に関連する諸問題は相互に関連しており、全てを同時に解決できる一手などないことが明白であるからこそ、次代を担う教養人たる学士・修士・博士人材の確保・質の向上のために、彼らの自己研鑽の動機を奪わないために、学生のための制度整備を社会に強く要請したいと思います。そのために、貴フォーラムの趣旨に強く賛同するとともに、私も微力ながらお力添えしたいという気持ちで署名させていただきます。
- 教育・研究・社会福祉・社会保障・医療・子育て・保育・介護・労働といった人の幸福への財政の支出を求める作業の一貫として、大学での教育研究の充実を訴えたいと思います
大学への期待・ご意見
- 「大学とは、大学に行きたくても行けない人のために学び、その学びをあらゆる生命の尊厳のために奉仕するものである」と私は教えていただきました。
- 各大学、各部局が、個別的に「生き残り」戦略を展開することは、今や学問の将来にとってマイナスになりつつあります。フォーラムの趣旨に賛同するとともに、時宜を得た問題提起に感謝します。
- 学問・教育・表現の自由を守ること、そのために不可欠の大学の自治が政権によって侵される深刻な危機を乗り越え、また大学の自治を内部崩壊させないための真摯な議論と取り組みの進展を心から願い、自らもささやかであろうとも努力していきたい。
- 研究のありようは次の社会を規定します。そして教育も次の世代の方向を決めます。大学はそのときどきの政治や権力の動向から自立するべきと考えます。
- 経済効率優先及び国策への迎合を強いる圧力に決然と対応し、深い学問研究の邁進を!
- 研究者は平和のために貢献してください.
- 今日の日本の大学は腐っています。犬も歩けば棒に当たるではなく、大学歩けば御用学者にぶち当たる、という状態です。自由な言論に対する妨害もひどい。政府の大学管理方針にはもちろん大反対ですし、研究費の削減と競争政策の組み合わせなどは許しがたい話だと思います。ですが、他方で、大学を構成している関係者にも猛省を促したいですね。そもそも教授会を中核とする大学の自治が形骸化し、形式主義やご都合主義が蔓延していたのではありませんか? 大学は学問・研究・教育の場にふさわしい、その本来の姿を取り戻すべきです。
- 昨日の第1回シンポジウムにも参加しました。現在の大学のガバナンスのあり方に大きな危機感を持っています。
- 社会的に注目されている大学の機能ですが、基礎研究・応用研究とはそれぞれ何を指すのかやそもそも科学や技術の目指すところといった言葉の定義に近い基本的なところから広くわかりやすい理解を目指し、その重要性を説いてく必要があると思います。積極的に関与していきたいと思います。
- 若者が学問の限りない自由さと楽しさを学ぶ最良の場で大学があり続けること、またそれゆえに大学で学ぼうとする若者が無条件でその機会を与えられることを切に願い、提言に全面的に賛同します。
- 世界の平和、市民の健康、自然環境保全、市民主権の民主主義発展等に貢献する為に学問・研究の自由を発展させる上で大学の自治が不可欠である。その学問研究の自由と大学の自治を破壊せんとする安部極反動内閣を一刻も早く退陣させましょう。
- 戦争に協力しないと大学教授の地位や収入や研究費が脅かされるそうで震撼とします。大学の自治と学問の自由は平和への道ですから築く努力を継続する事が大切です。
- 大学が軍事研究に利用されることは、戦争の準備に都合が良くなりますので何としても反対です!!!!!
- 大学とは、受講生が「自由に、広く、深く」自己や学問の可能性を探究する場であるべきです。単なる就活の場や資格・免許取得のためだけの場にしてはならないと思います。
- 大学の「基礎体力」の強化は、日本ひいては世界の将来に関わる大きな問題です。
- 大学の危機は社会全体の危機です。民主主義のあり方が問われているだけに、運動の横への広がりが大事であると思います。
- 大学の理念・教育・自治に政治色の介入を止めよ!
- 大学は、やはりアカデミックに学問の真理を追求するのが本来の務めだと思っています。札束に目がくらむことのないよう、襟を正してもらいたいと思うきょうこのころです。
- 大学は企業のためでも経済活動をするためだけにあるのではなく、人として幸せな人生を歩む社会、世界を作るための基礎となる学びをするところだと思います。
- 大学は国民の基礎的基盤としてなくてはならないもので、存在理由も一つだけでなく広い意味を持っている。大学の本来持つ多様な存在意義を一部の貧弱な発想の人たちによって、大きくゆがめさせられてきている事実はあまりにも知られていない。大学の危機的な状況を国民広く共有することは非常に大切なことと考える。この取組みを応援しています。
- 大学を出て50年以上になりますが、大学のあり方が激変しています。企業に役立つ技術を即席で身につけさせて送りだすのが主な役割となり、大学本来の役割が薄らいでいるように思われます。高等教育の役割を土台から見直すべき時です。
- 大学を日本版「軍産学複合体」の一角として組み込もうとする安倍政権の企てに対して、日本学術会議や個々の大学関係者、市民の頑張りによって、なんとか押しとどめているところだと思います。大学間の垣根や大学と市民との垣根を低くしながら、手を携えて、非戦の文化を形づくりたいと切望しています。
- 大学教育だけで無く教育全体の見直しが必要だと考えます。特に幼児教育から初等教育を基本的に考える事だと思う。
- 日本の大学はたかだか150年という、欧米諸国に比して極端に短い歴史しか有していないのみならず急ごしらえの近代化の尖兵として利用されてきたが、今日では謂れなき新自由主義政策に翻弄され未曽有の危機に瀕している。民主主義社会における「学術の中心」という大学本来の使命を果たすべく、大学関係者は今こそ一丸となって立ち上がらなければならないと考える。
- 法人化以降の国立大学、公立大学の状況はひどいものです。法人化で集中した権力をプラスでなく、マイナスに使う学長らもおり、全国の大学で無理筋の懲戒が続いています。これまで、大学が裁判で負けるなどなかったものが、私の属する都留文科大学など、大学がほぼ全敗しています。約80名しかいない大学で、近年だけでも11名が訴訟を起こすという事態が発生しています。大学は裁判で不法行為が認められても何も責任を取らず、新たないじめを仕掛けてくるというのが実情です。このような時代を乗り切るためには、フォーラムが必要です。
- 大学は、広い意味で地域の拠点となる公器になれる可能性をもっているように思います。とくに、いますぐにでも、新自由主義政策を押し返し、教員が学術活動で才能や実力を発揮でき、若者たちが育める場である日を取り戻さないと、取り返しがつかなくなってしまうように思います。
- 大学はどこへ行くのか危惧を覚えます。かっての院の教え子で大学に職を得たものたちが、研究と教育、大学運営に悪戦苦闘・疲弊している様をみるにつけ、このままであってはならないとの思いを強くし、この「大学フォーラム」の趣旨に賛同し、参加します。
- 学生時代の経験から本国における研究環境状況に疑問があり、諸大学における、研究者の業務改善、経営及び運営の改善業務に興味があります。特に、米国等では大学が多様な事業展開や投資運用事業を自主的に展開し、学生・研究者へよりよい環境を提供出来ている実態を鑑みて、日本の大学においてはどのような新しい収益を生み出せるのか、という課題に強く関心を持っております。
授業料・奨学金について
- 奨学金という名の学生ローンを廃止して、貧富の差に関係なく、誰もが高等教育を受ける権利を保証せよ!
- 高騰教育無償化への施作を,官邸の短期的な政策誘導のための餌にするなどは愚策中の愚策.未来を託す世代への教育投資は無条件で充実すべし.
大学フォーラムへの期待・ご意見
- 科学、大学、教員、学生に関して、議論の場を提供してくださっていることに敬意と感謝を表します。菅首相による日本学術会議の会員に任命拒否を撤回させるために、力を尽くしましょう。
- 研究者に加えて、広範な市民や大学に関わるさまざまな人たちの参加を呼び掛ける「大学フォーラム」の姿勢に、共感のメッセージを送ります。院生の方はもとより、さまざまな学生団体、個人の参加も期待しています。本フォーラムにける議論と実践の積み重ね、広範な交流のなかから大学の未来は創造されると信じています。
- 現役の教員,研究者の方々は,経常予算削減と教育活動.会議等でご多忙の極みだと拝察致しつつ,連帯したいと思います.私は定年退職後8年経過していますが,まだ細々ながら研究を継続し,非常勤講師として教育活動も行っています.さらに,科学者の社会的責任を果たす一例として,核・原子力問題等で分析活動と市民向け講演活動も行っています.大学教員,研究者の置かれた現実の条件・環境について,一般市民の理解,共感を得るためには,科学者の社会的責任を目に見える形で果たすことも重要かと思います.
- 1968-69の東大・日大闘争をきっかけに全国に波及した大学(解体的)変革がめざした「学問の自由」「大学の自治」「大学から地域へ」「市民科学(者)の構築」などなど、今あらためてその真価が問われているのではないかと思います。
- 3月30日(土)付,朝日新聞の書評で,日本の学術研究の危機を詳細に分析した本が紹介されていました.国大協の会長の発言でも,こういう本の出版でも,安倍自公政権が政策を変えないのなら,日本の学術を守ろうとする人々の数の力に頼るしかないと思います.
- 3月31日のシンポジウムには参加できませんでしたが、危機感を共有して参加していきたいと思います。
- このままでは,この国は本当にダメになってしまいますね。少しでもできることは協力していきたいと思っています。
- このままでは大学は研究・教育の場ではなくなりつつあります。
- つい最近大学を卒業しました。大学ではフィンランドの教育行政について卒論を書き、様々ところで発表も行いました。学部生程度の卒論でしたが、かなりの反響を頂きましたのは、それだけ市民の方も大学生も教育に対して何かしらの不満を持っているからだと感じたのは、記憶に新しいです。大学が中央政府のトップダウンによる統制を受けて、高等教育が脆弱になりつつあるのは、大学生も肌身で感じていると思います。教育基盤であり、研究の基盤である大学を守りたいと思い、署名をさせて頂きます。全力で応援致しますのでよろしくお願いします。そして、頑張って下さい。
- フォーラムに参加させていただきました。対話の場づくりの姿勢に、共感いたしました。これからワークショップ、ラウンドテーブル、若手・学生パネルなどを拡げられることを期待します。
- まずは大学関係者一人ひとりが声を上げることが大切です。貴重な機会を作っていただき、ありがとうございます。
- むつかしいことはぜんぜんわからないけどなにか小さいことで役に立てるなら協力したいという人は多いと思います
- 学生たちの未来のために、粘り強く頑張りましょう。
- 金勘定の論理に、大学がこれ以上振り回されないように、市民、学生、大学関係者が連帯して声を上げなければならない時に来ています。
- 国家と社会が静かに崩れつつあるように感じられてなりません。フォーラムの趣旨に全面的に賛同します。
- 社会科学の研究者として生きる選択がこれほどまでに困難な時代はなかったのではないかと思います。借金として背負う「奨学金」、増える見込みのないアカデミック・ポスト、低賃金の非常勤の悲惨なありさま…まさに、大学院生は文字通り「生き延びる」ことを余儀なくされています。結婚して子供をもつ。来年の収入の心配をせずに日々を過ごす。多くの人がそういった「ふつうの生き方」を望めない社会です。大学院生もその例外ではありません。院生が「ふつうに生きる」ことを望むのは贅沢なのでしょうか?あるいは、「自分で選んだのだからしょうがない」のでしょうか?そのはずがない、そう思っています。大学フォーラムの趣旨に賛同し、私も微力ながら出来ることをさせていただきたいと思います。
- 趣旨に賛同いたします。フォーラムの働きが祝福されますように。
- 大学の現状には心を痛めています。歴史のターニングポイントにしましょう。
- 大学の自治、学問の自由が、広く市民的共有財産となるべく、このフォーラムの広がりに大きな期待を寄せています。
- 大学教育・研究について黙っていられない現状を、訴える場を作って頂き、ありがとうございます。在職していた大学が、「防衛技術研究推進制度」を容認しているので、「反対する会」を立ち上げましたが微力です。力を合わせる必要を痛感していました。学芸大にいた友人も、欠員不補充のひどい現状を話していましたので、さっそく転送させて頂きます。
- 第1回シンポジウムはとてもよかったです。次回も参加したい。
- 地方国立大学から旧帝大の修士に進んで学んでいます。学部時代に所属していた学科では、予算削減や上からの改革圧力による無意味な(個人的にはそう感じた)学科改組により教員は教育研究への意欲を削がれているように見えました。そのような状況に危機感を覚えつつも、自分にとって最良の環境を考えて他大学の大学院への進学に至りましたが、今後も視野を広く持って日本における高等教育・学術政策の在り方を注視し、自分なりの意見表明をしていきたいと考えていた折、本サイトにたどり着きました。この活動の趣旨に全面的に賛同し署名します。
- 日本の大学政策についての的確な批判がなされている呼びかけであると思います。このような危機感と批判とが、少なくとも国立大学法人化の頃から出てきていたにもかかわらず、国民的な声になってきていないことに強い危惧を覚えてきました。この運動が新たなはずみをもたらすことを祈っています。
- 本当の意味で社会、市民と共にある大学を作っていくため、趣旨に賛同して署名いたします。共に頑張っていきましょう。
- 「あなたに答える必要はない」の言は、学問研究にも向けられている。あきらめと慣れと忖度を、計算している。計算されない。今ここで、やれることをやる。しぶとく、つないでいきたい。
- 教育研究を伸び伸びと行える職場にしたいと願い、賛同いたします。
- これまで以上に幅広く、市民的運動としても、展開する必要がありますね。
- 高等教育無償化を目指す学生団体に参加しています。高等教育の現状を世論に対して定期する活動の重要性を、私も活動を通じて感じています。