「大学の危機をのりこえ、明日を拓くフォーラム」を
―社会へのよびかけ―
1.いま、大学はさまざまな危機に直面しています
大学の使命は、高等教育をつうじて学生に豊かな学びと人生の選択の機会を保障し、落ちついた自由な環境のもとで多様で独創的な研究成果を生み出すという知の創造と継承によって、明日の社会づくりに貢献することにあります。しかし、大学はいま、これらの使命を果たすことを危うくするような、深刻な危機に直面しています。
基盤的経費の削減による教育研究の土台の弱体化
第一の危機は、学術研究や高等教育の基盤を支える教育研究費が年々削減され、教育・研究をこれまでの水準で続けることさえ困難になっていることです。
国立大学の基盤的な経費である運営費交付金は、法人化が行われた2004年度以降系統的に削減され、2018年度には当初の約88.2%にまで落ち込んでいます。私立大学に対する助成も、「経常費の2分の1補助の速やかな達成を目指す」とした国会決議(1975年)にもかかわらず、1980年度の29.5%をピークに低下の一途をたどり、今では10%を割るに至っています。その結果、研究費が大幅に削減されたり、教育・研究に不可欠な定期刊行物の購読打ち切りを余儀なくされたりするなどの状況が広く生まれています。人件費に充てることのできる安定的な経費が減っているために、教員が退職しても後任が採用ができず、その分野の研究者が不在となることが少なくありません。若手研究者のポストも、任期のついた不安定なものが大半となりました。少なくない大学で、これまでには見られなかったような教職員の一方的な雇い止めや解雇さえ横行しています。これらのことは、学部・大学院の教育や研究に打撃を与えるとともに、研究者をめざす人びとを減少させ、大学のもっとも重要な役割のひとつである多様な学問の継承を危うくするという結果をもたらしています。
このような中で、研究資金の配分のあり方をつうじて研究の方向性が歪められ、結果として研究の質と量の低下すらもたらされています。政府は、大学を競争的環境に置くことこそが大学を活性化させる鍵だとして、運営費交付金を削減する一方、競争的な研究資金や寄付金などを「自ら稼ぐことのできる大学」になることを求めてきました。そのさい、大学を日本経済再生のための「科学技術イノベーション」の拠点にするという観点から、「選択と集中」という考え方にもとづいて研究資金を重点的に配分する方向を強めてきました。その結果、(1)人文・社会科学系よりも自然科学系、(2)基礎研究よりも応用研究、(3)長期にわたる研究が必要なテーマより短期的に結論が出そうなテーマ、が重んじられる傾向にあります。各大学における教育研究費の配分にも、このような傾向が反映しています。
このような政策の端的な帰結が、科学論文の量も質も低下し、国際的な順位を大きく落としていることに表現される「研究力」の低下、とくに基礎研究の基盤の弱まりです。科学者自身だけではなく、社会の各方面から危機感をもって受け止められているこの問題の背景には、任期つきという不安定なポストが増え、研究費が減少するなかで競争的な研究資金の獲得に追われ、研究内容もすぐに成果の出やすいものに傾きがちになっているなどの事情があることについても、大方の認識は一致しています。
不断の「改革」の押しつけによる大学の疲弊
第二の危機は、不断に「改革」を求めるかけ声のもとで、「大学ガバナンス」改革と称して大学にはふさわしくないトップダウン型大学運営が強化され、結果として大学全体が疲弊するに至っていることです。
国立大学では、大学の自主性を高めるはずのものだった国立大学法人制度のもとで、上記のように基盤的経費である運営費交付金を漸減させて競争的資金などへの依存度を高めながら、政府が組織のあり方や人事制度についての「改革」の方向づけを与え、その方向づけに沿って「改革」を実行しているかどうかを評価し、評価にもとづいて資金配分に差をつけるといくというやり方が、年々緻密化されてきました。大学内部では、そのような評価と資金配分のやり方に迅速に対応するために、学長を中心とする大学執行部に権限を集中することが推奨され、学内における熟議と合意がおろそかにされています。その結果もたらされているのは、目に見える数値化された目標の短期的な達成に慌ただしく追われる大学の姿です。このような企業的な「大学ガバナンス」のあり方は、多様な役割をもち、成果がすぐには目に見えにくい大学における教育研究の性格、教育・研究の専門家集団としての教員が、一生涯にわたる学びの一過程にある学生や職員とともに作り上げる大学のあり方にふさわしいものではなく、むしろ大学全体を疲弊させるものとなっています。短期的な評価にもとづいて財源措置を不安定化させるこのような方向性をいっそう強化することに対して、国立大学協会は2018年11月、「国立大学法人制度の本旨に則った運営費交付金の措置を!」と題する声明を出し、「高等教育及び科学技術・学術研究の体制全体の衰弱化さらには崩壊をもたらしかねないものであって、国立大学協会としては強く反対せざるを得ない」と明確に主張しています。
しかも、財政誘導による「改革」の加速化とトップダウン型大学運営という手法は、それが適切なものだったか否かについての検証もなされないままに、国立大学から私立大学へと広げられようとしています。
2.明日に向かって問われるべきことは何でしょうか?
それでは、基盤的な教育研究費を確保し、研究資金配分の歪みをただし、大学全体の叡智を結集した大学運営のあり方を回復することをつうじて大学の危機を克服しつつ、明日に向かって問われるべきことは何でしょうか?
大学が大学である以上は備えるべきものは何かを踏まえながら、それぞれの大学が歩む道を自主的に定める
第1に、以上のような「改革」が推し進められている背景には、まがりなりにも中長期的な広い視野から大学政策を立案する役割を担ってきた文部科学省と中央教育審議会の地位が低下し、首相官邸に政策形成に中心が移っているという事情があります。そのため、「科学技術イノベーション」の拠点、あるいは「地方創生」の拠点として大学を位置づけるというように、経済政策的視点に傾斜した大学政策が次々に打ち出されてきました。その結果、大学間格差が広がり、広がった格差は国立大学でも私立大学でも大学の事実上の「類型化」として固定化されようとしています。それぞれの大学が自らの判断で特色を打ち出すことは必要です。しかし、政策によって鋳型にはめようとすることは、大学のもつべき多様な役割、それぞれの個性を軽視することにつながりかねません。2018年9月、日本私立大学連盟は「高等教育政策に対する私大連の見解」を発表し、「私立大学の『特性』と『自主性』を損なうことになりかねない高等教育政策が相次ぎ提示されている」と警告を発しています。重要なのは、大学が「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」(学校教育法)ことを改めて想起し、多様性を超えて、「大学が大学である以上は備えるべきものは何か」、ということを改めて考えることではないでしょうか。
大学における学びの場を量的にも質的にも確保し、学費負担の軽減によって機会均等を保障する
第2に、大学進学率はすでに十分なほど高くなったというわけではありません。短大を含む大学進学率は57.9%(2018年)に達していますが、地域差が大きく、4年制の進学率では女子の方がかなり低いのも日本の特徴です。充たされていない進学への希望が少なからず残されているのです。社会人の学びなおしの要求もあります。したがって、18歳人口の減少という見とおしを安易に大学の淘汰に結びつけるのでなく、学びの場を量的に確保してゆくことがなお必要です。
量を確保すると同時に、大学進学率50%以上といういわゆるユニバーサル段階に入った大学教育はどのような質をもったものであるべきか、それをどう確保するかについて、これからの社会のあり方と知のあり方をグローバルな視野で見とおしつつ、真剣に検討することも不可欠です。
そのさい、学生と家族が重い学費負担を強いられていることを直視しなければなりません。親からの仕送りは減り、アルバイトへの依存度が高まっています。有利子のものを中心とした奨学金受給者の割合が上昇する一方、雇用形態が不安定になる中で、返済に苦しむ人びとも増加しています。大学進学をあきらめた理由のひとつとして挙げられているのが経済的負担の大きさであることに見られるように、学費負担の軽減は、高等教育への機会均等という観点からも喫緊の課題です。
高等教育の費用は誰が負担すべきかを根本的に考え、公的支出の水準を引き上げる
第3に、「改革」を論じるさいに、財政的制約が当然のように前提とされることが少なくありません。しかし、財政は未来に向けて何を重視するのかという選択の問題です。しかも、日本は高等教育に対する公的支出が国際的に見ても低いままにとどまり、個人負担の大きな国に属しています。充実した教育、そして研究には、費用がかかります。公的支出の水準を引き上げ、そのための財源について、真剣に議論されなければなりません。
これらのことを、社会の変化とその方向を見とおしつつ、大学のはたすべき役割の根本に立ち返って問うことが求められています。
3.国公私の別を超えて、社会とともに大学の今と明日を考え、行動するための「フォーラム」を
大学をめぐる課題は多岐にわたり、いずれも深い省察を求めるものです。しかし、個々の大学は、「競争的環境」の中で大学政策の求める要請に応じることに日々追われています。大学政策に疑問があっても、それを形に表わし行動することが困難になっています。国立大学のあいだでも、置かれた条件の違いが拡大し、共通の主張をまとめることは容易ではなくなっています。そのことは、私立大学ではいっそう強く当てはまります。だからこそ、国公私を超えて、大学の直面する危機と課題にどのように立ち向かうかを議論する場が必要です。
一方、大学はどのような問題を抱えているのかについて、大学人の認識と社会の認識とのあいだにはズレがあることも否定できません。大学人は大学の現状を社会に向かって伝えるとともに、これまでの自らのあり方についても真摯に反省し、社会は大学に対する疑問や期待を率直に語り、相互理解をめざすことが不可欠です。
このような状況に立ち向かうために、私たちは、大学の今と明日を考えるための議論を持続的に行なうための場として、「大学の危機をのりこえ、明日を拓くフォーラム」を設けたいと考えています。この「フォーラム」は、大学の現実を率直に見つめるとともに、明日に向かって確実に歩むための道をじっくりと探り、社会に発信していきます。個別大学を超え、国公私立という設置形態を超えて共通の関心を育て、立場や意見の違いにもかかわらず一致できる要求を明らかにすること、大学関係者だけでなく、受験生や大学生をもつ親の皆さん、中等教育関係者や、大学と広く市民社会とをつなぐメディア関係者などともいっしょに考え、政策を転換するために行動することをめざします。